『giinika』8号特集「音と言葉」のこと
おかげさまで『giinika』8号の配本が一段落しつつありますなか、早速多くの方からお便りやメールを寄せていただいており、本当にありがとうございます涙涙 拝読しては、日々ありがたさを噛み締めています。創刊以来のgiinikaのあり方としても、また8号特集「音と言葉」においても、「語り」ということのなかにたくさんの価値や可能性があることへの気づきとともに雑誌をつくってまいりましたため、giinikaがみなさんが語り出す一つのきっかけにもなっているとすれば、それはこのうえない歓びであり、同時に背筋が伸びる思いです。
さて8号特集は「音と言葉」とありますように、音と言葉にかかわって活動する方々にご登場いただいていますが、特集冒頭で触れましたとおり、かつて山形大学で音楽教育を教えられた星野圭朗先生のご著書『創って表現する音楽学習 音の環境教育の視点から』(音楽之友社、1993年刊)に偶然出会えたことは、今回の特集の一つのきっかけとしてとても貴重なことでした。星野先生の音楽教育がどのようなものであったかは特集冒頭文に譲りますが、このご著書の「はじめに」のなかで、星野さんは次のように書かれています。
第二次世界大戦のさなか、私の受けた音楽教育(唱歌)は、「ハホト、ハヘイ、ロニト」の和音判別訓練に始まり、アメリカのボーイングB29などの爆撃機、そして日本の戦闘機の爆音を、竹針の電気蓄音器で78回転のSPレコードで聞かせ(当時鉄の針は不足していた)、それを聞き分けさせるものであった。それは当時、国民の生命や財産を爆撃から守るための、国策の一つとして行ったものだろう。広島や長崎に原子爆弾を投下させたのもこのB29であった。これは、音楽教育が国民の生命・財産を守るという緊急の目的のために利用され、環境音である爆音を真剣に聞くというアプローチになったということである。
星野さんはこのあとに、「今でもB29の爆音をはっきり覚えている」と書いており、こうした経験に「環境教育の原点」を見て、現代にも通じる音の環境問題、社会問題に対して、音楽教育の立場からどうアプローチするかをご自身の教育の課題に据えられたとあります。そしてその音楽教育とは、騒音をなくすための教育ではなく、音に耳を澄まし、自分や友人の好きな音、未来に残していきたい音を自ら選べる感性を育む、そんな教育であると考えられ、子どもたちと実践されたということに、深く感銘を受けました。
8号特集に登場くださった音楽科講師の東海林恵里子さん、ピアノ調律師の白田建夫さん、視覚障がいピアノ調律師の酒出直人さん、和太鼓研究会太悳OGで鼓童文化財団研修所研修生の笹原未紅さん、さらに笹原さんのお話に登場する太悳を創立された東北芸術工科大学名誉教授の川口幾太郎先生といった方々の根幹にある音には、星野さんが目指された音楽教育の音、そしてその音が暮らしと深く結びついているという点で共通するものがおありなのではと感じます。その一方で音へのアプローチの仕方や音を通じた自他とのかかわり方はそれぞれに異なるとも感じます。
そして言葉とかかわる方としてご登場いただいた葉っぱ塾を主宰されている八木文明さん、それから酒田詩の朗読会を主宰されている阿蘇孝子さんには、戦地での体験を短歌にして残された渡部良三さん、戦後の日々と詩を通して「自分の行動の尺度」を考えられた吉野弘さんから、それぞれにいまも暮らしのなかで受け継がれている言葉というものがありました。
日本原水爆被害者団体協議会代表委員の田中熙巳さんによるノーベル平和賞授賞式での演説のなかには、「核兵器の非人道性を感性で受け止めることのできるような原爆体験者の証言の場を各国で開いてください」という言葉がありました。核兵器の非人道性、戦争の非人道性を受け止めるための感性を、まずどうしたら自分自身に回復できるかということを深く考えさせられます。そしてわずかずつでも、身体とたしかに結びついた学びのなかで、暮らしと歴史に耳を澄ますことをやめてはならないと感じます。
8号に登場される方お一人おひとりに共通するものは、個人を尊重しながら学び続けられる姿であり、その根底にはそれぞれに思い描かれている平和があると感じます。ぜひお一人おひとりの語りと、吉野弘さんが高校生に向けて綴られたお手紙の言葉をお読みいただけたらうれしいばかりです。そしてもしも気になられる方がいらっしゃいましたら、その活動に参加されたり仕事をご依頼いただくなど、ぜひ直接会われて言葉を交わしていただけたらと思います。
▲ドイツのオルフ研究所で授業を受ける星野圭朗さん。左から4番目が星野さん(星野翠さん提供)
▲阿蘇孝子さんが主宰する朗読会の1周年のときのようす。左が阿蘇さん、右が吉野弘さん(阿蘇孝子さん提供)