三春町元町長の伊藤寛さんからコメントをいただきました!
福島県田村郡三春町で1980年から2003年まで6期にわたり町長を務められた伊藤寛さんから、『giinika』へのコメントをいただきました!
こちらはお手紙にて↓
地域誌「giinika」、早速隅から隅まで読ませていただきました。まず、特集標題「わたしの会社」にオヤと思いました。読みすすむうちに感動しました。船山英子さんの奮斗記録に感服しましたが、地域にさまざまなネットワークが拡がっていることを丹念に紹介しておられることにも共感しました。それらを記録する筆力もすばらしいとかんじました。さすがです。
こちらはメールにて↓
1号、2号と、地域で活躍しておられる人たちを丹念に紹介する編集内容、地域社会ウオッチングの切込みの深さに圧倒されています。それによって、若いころから痛感させられてきた山形県の地域力といったものも、あらためてつよく感じさせられています。
三春町とは建築家の大髙正人さんのご出身地であり、大髙さん自らまちづくりにかかわりながら設計された三春町民体育館(1978年)、三春町歴史民俗資料館(1982年)、三春交流館/まほらホール(2003年)などの建築はいまも活用されています。その大髙さんが故郷である三春のまちづくりに約30年にわたりかかわるきっかけとなった三春まちづくり協議会主催の講演会を企画したのが、まさしく伊藤寛さんでした。伊藤さんは農林中央金庫をお辞めになってから三春へと戻られて助役に就かれ、その後に町長を24年間務められた方です。
私はそうした細かい経緯は存じ上げずに2016年に三春で開催された「大髙正人と三春のまちづくりシンポジウム」と建築見学会に参加し、たまたま伊藤寛さんと昼食をご一緒したことをきっかけに、ユーモアいっぱいの奥さま・純子さんとも家族ぐるみでお付き合いさせていただくようになり、これまでさまざまなご助言や励ましをいただいてきました。町長として在職中にアメリカのウィスコンシン州ライスレイク市と姉妹都市提携を結ばれるなど私生活でも異文化交流をとても大切にされていたり、三春でご一緒するなかで町民の方々と出会われるときにはお一人おひとりと丁寧に言葉を交わしていらっしゃったりと、そうした姿を拝見するたび私自身の生活や仕事の指針においても影響を受けてきました。地域開発とは綺麗事ではなく、かといって生活者の暮らしの歓びや利便性からも決して目をそらしてはならず、交流場所だけではなくてまちなかへのスーパーマーケット誘致などにも尽力されるなど、伊藤さんの先駆的で偉大なお仕事には今も貴重な学びがあります。なにより、三春というまちは本当に美しいところですが、その美しさの根底にはこうした価値観が時間をかけて構築されてきていると気づかされます。なかなか移動の難しい時期ではありますが、ぜひまた三春を訪ねたい思いでいっぱいです。